日米安全保障条約についての基礎知識

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大阪市で開催されたG20の会見で、ドナルド大統領の口から「日米安全保障条約」「破棄」「変更」という発言が飛び出ました。

ブルームバーグは「トランプ大統領が日米安全保障条約を破棄する可能性について側近に漏らしていた」と報じました(2019年6月25日)。続いてFOXビジネスニュースの電話インタビューではトランプ大統領本人が「日本が攻撃された時、アメリカは第3次世界大戦を戦い、猛烈な犠牲を払うことになるが、アメリカが攻撃されて救援が必要なとき、日本はソニーのテレビで見物するだけだ」と安保条約への不満を公言しました(2019年6月26日)。

多くの見解では「これ(日米安保の破棄)はドナルド流の取り引きであり、 同盟を揺るがすことで日本の参議院選挙後の貿易交渉の譲歩を狙っている」と分析されていますが、実は日米安保の破棄は不可侵の領域とされていたもの。日本の政策や外交は日米安全保障条約、いわば日米同盟が大前提の上で成り立っているので、ドナルド大統領の発言は日本を揺るがしています。

しかし…私にとって日米安全保障条約は「歴史の教科書で習った」程度の存在です。政治・経済において在ることが大前提のものせいか実はよく知らないものだったので、今回の報道を機に基礎的なことをまとめてみました。

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日米安全保障条約はこの50年間いつでも破棄できた

日米安全保障条約では、締結した1960年から10年間の有効期間(固定期間)が過ぎれば、1年前に予告することで一方的に破棄することが可能であると明記されています。

大坂で開催されたG20サミットの会見でトランプ大統領が「日米安全保障条約は破棄しない」と言っていたのが不思議でしたが(2国間の条約が話し合いもなく一方の主張で破棄できるものなのか?と思っていた)、日米安全保障条約は1970年から約50年間いつでも破棄できる状況にあったのです。

日米安全保障条約は毎年自動的に延長されていた

「(日米安全保障条約は)1年前に予告すれば破棄できる」と同時に「この破棄予告が出されない限り条約は存続する(自動延長方式)」も明記されています。

つまり、日米安全保障条約はこの約50年間毎年自動延長していたということになります。

日米安全保障条約の締結は1960年?

いまニュースで騒がれている日米安全保障条約は、正確には新日米安全保障条約 (日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)で、1960年に締結しました。

締結したのはいまの内閣総理大臣・安倍晋三氏のお祖父さんである岸信介首相です。Wikipediaで知りましたが、岸信介首相の旧姓は『佐藤』で佐藤栄作首相の実兄でした。岸信介氏は第56・57代内閣総理大臣、佐藤栄作氏は第61・62・63代総理大臣…バイタリティあふれる兄弟です。

日米安全保障条約は第二次世界大戦終戦後まもなくして締結されたイメージがありますが、それは1951年に締結された旧日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)です。

この頃世界は冷戦の真っ只中、さらに朝鮮戦争も勃発したので日本は安全とは言い難い状況に置かれていました。ここで日本は共産主義陣営を除いた諸国と講和をしました(単独講和)。

講和とは戦争を完全に終わらせるための宣誓で、このときの日本の場合は『降伏』と同義でした。講和すると両国間の戦争は完全に終わったことになり、国交が回復して平和になります。日本がアメリカ合衆国との講和で締結したのが平和条約と、旧日米安全保障条約でした。

日米安全保障条約に新と旧がある理由

旧日米安全保障条約の主はアメリカ軍が引き続き日本国内に駐留し続ける権利の主張です。そして駐留軍の権利は主張していますが、この条約には駐留軍が日本を防衛する義務があることは明記されていませんでした。

一方で、駐留軍が日本国内の内乱に対応する権利を主張することができる旨がかかれていました。日本に対する内政干渉、つまり自治権を危うくする内容だったので、1960年に新日米安全保障条約が締結されました。

新日米安全保障条約が締結された時点で旧日米安全保障条約は失効しています。

新安全保障条約では集団的自衛権を前提とした双務的体裁を採用しており(旧条約では駐留権のみの片務的体裁)、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定しています。

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