たまに食べたくなる『かりん糖』

たまに食べたくなる『かりん糖』

旦那は一年に1回、「突然かりん糖が食べたい病」に罹ります。

一昨日発症し、そして買ってきた「かりん糖」を、パパと一緒に子どもたちも食べていました。

うちの子たちは黒蜜(黒砂糖)好き。

当然「かりん糖」も好き。

初めて食べたときは、1口目で「美味っ!」と開眼していました。

今回は「かりん糖」について。

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「かりん糖」とは?

「かりん糖」とは、小麦粉・砂糖・水・イースト・食塩・重曹などを練り合わせて棒状に成形した生地を、植物油で揚げて、黒砂糖や白砂糖で作った蜜に絡めて乾燥させたものです。

和菓子の一種。

庶民が慣れ親しんだ駄菓子の1つと言われる一方で、高級な老舗和菓子店の商品に「かりん糖」があることもあります。

「かりん糖」を「花林糖」と表現することもありますが、当て字だそうです。

最近では生地に、胡麻の実・抹茶・大豆・そば粉・ピーナッツを混ぜたもの、栄養面を考慮して緑黄色野菜や根菜・卵殻由来のカルシウムを混ぜたものもあるそうです。

また、本来「かりん糖」は揚げ菓子でしたが、最近は生地を揚げずに焼いた「焼きかりん糖」もあるそうです。

「かりん糖」の歴史(起源)

「かりん糖」の起源は、

 ・唐菓子を起源としている

 ・南蛮菓子を起源としている

この2つがあります(諸説ありはっきりしていないが、この2つが有力)。

唐菓子を起源としている説

唐菓子は奈良時代に遣唐使によってもたらされた古代中国の菓子で、「かりん糖」の起源は唐菓子の1つ、油で揚げた「索餅さくべい」ではないかと考えられています。

なお今の中国には「江米条」と呼ばれる「かりん糖」に似た菓子があるそうです。

索餅は現代で例えるなら「チュロス」に形態が似ていて、古代の上流階級には「捻頭むぎかた」の名で親しまれ、食べられたようです。

捻頭は江戸時代になると関東にも広がり、天保年間には深川にある山口屋吉兵衛が「花りんとう」の名前で売り出して一気に人気になったと言われています(庶民の味として親しまれるようになったのは明治初期)。

捻頭は「かりんとう」として流行していく中、江戸時代中期には姿を消したと言われていますが、今でも奈良周辺で「しんこ菓子(しんこ餅)」と呼ばれて存続しているそうです。

南蛮菓子を起源としている説

南蛮菓子と「かりん糖」の関連性を示す研究・文献はないものの、スペインの「ペスティーニョ」やポルトガルの「コスクラン」はかりん糖そっくりの菓子だそうです。

姫路地方の「かりん糖」は、江戸時代後期、姫路藩の河合寸翁が経済振興策の一環として長崎に菓子職人を派遣し、そこで西欧の青果技術を学んで誕生したと言われているそうです。

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粉状にした穀物から作られたものは全て「唐菓子」

「かし」とは、古代日本では「果物や木の実」などを指し、漢字が日本に伝来すると「かし」には「果子」や「菓子」といった字が当てられました。

その後、遣唐使によって穀物を粉状に加工する技術が日本に伝来。

それによって、今まで”かし”と言っていた果物は「水菓子」と、粉状の穀物で作られたものを「唐菓子」というようになったそうです。

つまり、穀物を粉状にしたもので作られたものは全て「唐菓子」。

だから「かりん糖」も唐菓子が由来だというのが、「唐菓子由来説」の主張になっているそうです。

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関東の「かりん糖」と関西の「かりん糖」

唐菓子由来説であげましたが、「かりん糖」の原型が関東に伝わったのは江戸時代で、元々は上流階級の菓子として広まって現在の「高級なかりん糖」の先駆けとなったようです。

関東のかりん糖は生地の発酵時間が長めで、比較的軽くて食感は柔らかめ。

絡める蜜も白砂糖であることが多いそうです。

関西のかりん糖は姫路地方で播州駄菓子と呼ばれるというように駄菓子として発展したため、硬めに生地をこねるので食感も比較的硬めです。

ー この記事はここで終わりです -

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