DAZNでF1中継を観ていたらオランダ人ドライバーであるフェルスタッペン氏の応援団がオレンジ一色でした。
オランダというとオレンジ色のイメージですが、なぜオレンジ色?オランダの国旗は赤・白・青でオレンジ色はないのに、なぜオレンジ色がオランダのナショナルカラーなのか?
ナショナルカラーとは
ナショナルカラーとは『その国を体現すると見なされている色』であり、基本的にはその国の国旗か国章を元にした色がナショナルカラーとなるようです。
ナショナルカラーの始まり
ローマ時代から『国の名誉を色で表現すること』は行われ、当時の都市国家ローマを象徴する色は”紫”でした。紫色に染める染料・貝紫色が貴重だったこともあり、「紫色=皇帝の権威を表す色」として重視されたそうです。
いまでは各国の歴史や建国の精神は国旗の色に使用することが多く、その結果「ナショナルカラー=国旗の色」という国が多くなっています。
日本のナショナルカラーは?
日本のナショナルカラーは白と紅色。日本の国旗にも使われているこの色、紅色は「博愛、活力」、白は「神聖、純潔」を意味しているようです。
ちなみに日本の国旗の紅色の丸は”太陽”を意味していることは知られていますが、他にも丸い形であることには「円満、団結」という意味があるようです。
太陽を国旗に模したのは太陽信仰が由来。日本人はもともと農耕民族であるため、「日本人の大切なもの=太陽」となるようです。
オランダがオレンジ色の理由
オランダのナショナルカラーがオレンジ色にのは、オランダの建国の父である「オラニエ公ヴィレム」を起源とするからです。
「オラニエ」は英語でいう”オレンジ色”で、オランダ王家は「オラニエ=ナッサウ家」というようで、現国王であるウィレム=アレクサンダー(Willem-Alexander Claus George Ferdinand van Oranje-Nassau)の名前にも受け継がれています。
オランダでなぜ南国果実の「オレンジ」なのか?
オレンジは南国の果実であり、オランダはオレンジなど育ちそうにない痩せた土地だったはずなのに、なぜオランダの建国の父が「オレンジ」なのか。
それはヨーロッパの王家ならではの複雑な親戚関係が背景に。
もともとオラニエ公ヴィレムはドイツの名門ナッサウ家の出身で、戦死した従兄が相続していたネーデルラントの所領と南仏プロヴァンス地方の公領・オランジュ公国の公位を継いで「オラニエ公」となったのです。
オランジュ公国は代々ブルゴーニュ公に仕えていて、当時のブルゴーニュ公はスペイン国王カルロス一世、オラニエ公ヴィレムはカルロス一世に目を掛けられていたようです。
その後ネーデルランド各地で反カトリック暴動が起き、この暴動の責任を取ってネーデルランド貴族の多くはカルロス一世の息子・フェリペ二世に処刑されます。オラニエ公ヴィレムは領地や財産の多くが没収されたもののドイツに逃れていて無事であり、その後オランダ反乱軍の中心的存在となってオランダ独立戦争(八十年戦争)に身を投じたという経緯があるのです。
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オランダのようにナショナルカラーが別にある国
オランダの様に、国が大事にする”色”がある国はいくつもあります。
イタリアの”青”
自国を大切にするイタリア人は国旗の色”トリコローレ”、赤白緑を生活の色々なところに入れていますが、イタリアにはこの三色ではない「青」がナショナルカラーだったりします。
このアズーロは北イタリアのピエモンテを治めていたサヴォイア家のシンボルカラー。サヴォイア家は辺境貴族から戦争を経てヨーロッパ有数の貴族として成長した一族で、19世紀に起きたイタリア統一戦争では中心的な働きをして、統一後にイタリア王国の王家になったそうです。
統一する前のイタリアはいくつかの小国に分裂していて、周辺にあるフランスやオーストリアなどの強国の支配・介入を受け入れ続けた歴史があったため、イタリア統一は当時の人々の悲願であり、イタリアを統一できたことは「イタリアの主権を取り戻した=独立」と同意だったようです。
オーストラリアは”金(黄)”と”緑”
オーストラリアは国の花『ワトル』の黄色い花びらと緑の葉から由来して、ナショナルカラーを金色(黄色)と緑色としています。
『ワトル』とはオーストラリア独特の呼び名で、ヨーロッパなどではミモザ またはアカシアと呼ばれています。
ベネゼエラは”ワインレッド(バーガンディ)”
ベネズエラはスポーツの代表団など国を代表する色としてワインレッドを身につけていますが、これは国旗に使われている赤・青・黄色の三色を混ぜるとこの色になるからだそうです。
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