大相撲の不祥事ふたたび
京都・舞鶴市での巡業中、大会挨拶中の舞鶴市長が倒れ(後に、“くも膜下出血”と判明)、救助に駆けつけた女性たちへの開催主催者側の対応が問題視されています。
最初に駆けつけた男性スタッフ6、7人が何も処置できずにいたので、有資格者である看護師の女性たちが土俵に上がり救命処置を行った。
↑
心臓マッサージをしている女性たちに「土俵を降りるように」というアナウンス
相撲とは神様に捧げる神事なので“不浄”なものは土俵にあげちゃいけないという伝統があるのです。
“不浄(impure)”とは穢れです。代表的な穢れとは血で、女性は生理や出産で血を流すので、女性は不浄なものに分類されます。
↑
まだ初潮を迎えていない幼女は穢れがないとされ神事に参加できるという事例もある
“女性が穢れている”という考えは宗教や信仰の問題なので、女性禁制の場所や考えがあるのは別に良いです。ここまで男女平等の考えが踏み込ませようというのも変な話です。
今回の問題は相撲界が“人命より伝統を重視したこと”です。倒れた人を見殺しにするほど相撲界の“女人禁制”は重視すべきことなのか、ということです。
これについては相撲界の発表は“否(人命の方が大切)”ですが、当時の現場の反応からすると“是(伝統の方が大切)”なのかもしれないと推測されても仕方がないのです。明らかに人命救助中の人たちを倒れた人から引き離そうとしたのですから。
それほど伝統を守りたいならばきちんとすること、今回の事例においては男性の医療従事者を大会開催中は待機させておくことが大切です(いたけれど咄嗟の医療行為ができなければいない同然)。
「若い行司がやったこと」で相撲協会は片付けようとしていますが、その場で彼の浅はかな発言を謝罪と共に撤回しなかったことが問題でした。世論で問題視されてからの対応だったので、「人命が何よりも優先」という相撲界の発言の真意は疑わしく見えるのです。
↑
大会運営側の至らぬ点を彼女たちにフォローしてもらったため
今後の対応として“相撲界全体で人命最優先であることを再確認すること”が大切です。人命よりも伝統を重視するなら土俵上のトラブルを男性だけで片付けられるような準備を念入りにすることが大切です。
さて、この問題は主催者側の不手際から女性蔑視の問題へと刷り変わっています。その理由は「女性だから挨拶させてもらえなかった」という女性市長さんたちです。
…これを人命救助の問題と同一視する
開会式で女性市長が挨拶させてもらえなかったとか、断髪式で○○の母親が土俵に上がれなかったとか、そこは“式典”なんだから伝統を重視しても構わないでしょうに…(断髪式に土俵に上がれなかった母親は伝統を理解し問題視してませんが)
↑
伝統を問題視するなら開会式をするという伝統も止めてしまえと私は言いたい
海外のメディアが今回の件を報道した理由は伝統を守るために倒れた人を見殺しにしようとした相撲界の非常識っぷりが9割、日本の社会の女性参加率の低さが1割というところです。
参考:Japanese women ordered from sumo ring during first aid(BBC News)
一方日本では最初こそ相撲界の非常識っぷりが表立っていましたが、いつの間にか男尊女卑の問題へと推移…
土俵の上が女人禁制という伝統があってもいいじゃないですか。それが相撲と思えばいいのです。
ただ私の父や夫が土俵上で挨拶するという機会があるときは、救命措置ができる男性を連れていくように進言するようにします。
【了】
広告
コメント