本庄市の城山稲荷神社の境内はこの土地を四百年間見守ってきた巨大なケヤキの木がある(埼玉県天然記念物)

城山稲荷神社は 本庄城跡地から少し下がった位置に建てられている

本庄市役所の脇には城山稲荷神社があります。この神社は室町時代に築かれた本庄城の北東に建立された神社です(再建)。

本庄城を築いたのは本庄実忠。本庄氏は平安~鎌倉時代の武蔵野国(現在の埼玉県+東京)で雌雄を争っていた一勢力の武蔵七党の一党で最大勢力だった児玉党の構成氏族です(児玉党旗頭の本宗家の庶家)。

60代という高齢で新たに城を築き本拠地を移動した理由については諸説あり、児玉北部の国境に元の本拠地より近いことから上州や下総国古河からの軍を迎え撃つためなどと推測されています。

本庄城はもう城跡もなく
ただ城山稲荷神社に向かう道が残るのみ

城を守護するために、城の北東に神を祀る社を建てるのは日本中の至る所で見られます。

北東とは丑寅。この方角は古来から鬼が出入りする方角として忌み嫌われているため、彼らは社を建てるなどして鬼に備えたのです。ここでいう”鬼”とは日本昔話の異形の怪物だけではなく、幽霊や疫病といった厄災全般を指します。

本庄城を築城した本庄実忠は鬼門の方角に日頃から崇敬していた椿稲荷明神を鎮座し守護神としました。椿は縁結び・健康長寿・魔除けの吉祥木であり、椿稲荷というからには椿が御神木として植わっていた可能性をにおわせます。

境内には本庄氏が崇敬していた椿稲荷にちなんで立派な椿の木が植えられている

本庄城は築城から約35年後に豊臣秀吉に負けて落城。その後徳川家康の時代になって小笠原信嶺が新たに本庄城を築き、稲荷神社も社殿が再興。小笠原氏は赤木山麓から神木・霊木と言われる松を100本を取り寄せて社内に植え深く崇敬したと言われています。

本庄城の築城からずっと本庄市と共にある樹齢約400年のけやきの樹

椿も松も今では見る影がありませんが、社殿近くにある樹齢約400年(推定)のケヤキは本庄実忠が本庄城築城の折に献木されたと言われています。このケヤキは6.3mの目通り周囲と高さ約30mの迫力ある巨木です(約50年前に埼玉県の天然記念物に指定)。

基本的にケヤキは戦時中に強制的に供出されていたためこのようなケヤキの巨木はとても珍しく、見事な姿態で神社の森をこの1本で作っているくらいです。

この神社には社殿が1つありますが、中には城山稲荷神社・八幡神社・八坂神社が合祀されています。そのため御祭神も四柱います。

  • 城山稲荷神社…倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  • 八幡神社…応神天皇
  • 八坂神社…建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)・牛頭天王(ごずてんのう)

八幡神社は稲荷神社ができる150年ほど前に村民が勧請したものを小笠原氏の代に再興したもので、明治時代にここに移転してきました。 八坂神社は本庄宿時代には中山道の中央に市神様として祀られていましたが八幡神社内に移されました(理由は不明)。

「倉稲魂命」は神話に登場する女神で、古事記には 「宇迦之御魂神」 と記されています。ちなみに素戔嗚尊の娘です。

彼女は穀物の神であり、稲霊(稲に宿る神秘な霊)と考えられています。日本各地にある稲荷神社を統括する伏見稲荷神社の主祭神であり、一般的に「お稲荷さん」と呼ばれ親しまれ、現在は商工業を含め『産業全体の神』として信仰されています。

本庄氏に所縁のある土地には大小さまざまな稲荷神社が多く、そこから分けられた稲荷様の社が個人宅(敷地内)にあったりします。

個人の所有地内にお稲荷さん等の御神体を祀ることを、これらの社や祠を総称して『庭内神し』というそうで、実はその部分の土地等の相続税は非課税になるようです(満たすべき一定条件あり※2013年情報)。

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