万葉集の時代ある大嘗祭で天皇陛下は何をするの?

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2019年11月14日~15日、新天皇の即位後初めての新嘗祭(にいなめ・さい)である大嘗祭(だいじょう・さい)が執り行われました。続いて11月16日~18日は大饗の儀で、大嘗祭に参列した人たちを天皇陛下が招いた食事会が模様されます。

ニュースで放送されるその風景は平安絵巻さながら。それも当然、これらの儀式は平安時代から続く儀式です。今回は大嘗祭・大饗の儀について調べました。

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大嘗祭は皇位継承に伴う重要な皇室行事

大嘗祭は皇位継承に伴う重要な皇室行事です。新天皇はその年に収穫された米や粟などの新穀を神様の前に供え、自らも食して国や国民の安寧と五穀豊穣を祈ります。

2019年10月22日に行われた『即位礼(即位の礼)』は新しい天皇が天子の位(皇位)を継承したことを国内外に示す皇室儀礼であり、今回の大嘗祭は即位した新天皇の御代がよい時代であるように祈る儀式となります。

大嘗祭と似た感じで、国の安寧と五穀豊穣を祈る儀式「新嘗祭」は毎年11月に行われています。つまり大嘗祭は新天皇の初めての新嘗祭とも言えます(大嘗祭は規模は格別)。

大嘗祭は皇居内の大嘗宮で執り行われる

皇室行事であり神事でもあるので「伊勢神宮かな?」とも思っていましたが、大嘗祭は 皇居・東御苑に仮設された大嘗宮を中心に執り行われます。

”仮設”としたのは大嘗宮は大嘗祭およびその後の一般公開終了後厳かに取り壊されるからです。

【大嘗宮一般参観】
  実施時期 11月21日(木)~12月8日(日)の18日間
  実施時間 9:00~16:00(入場は15:00まで)
  ※詳しくは宮内庁の公式サイトで確認してください

大嘗祭は万葉集の時代からの儀式である

大嘗祭の起源を辿ると7世紀の天武天皇・持統天皇の時代に遡れます。

万葉集の、『あさきゆめみし』の時代で、天武天皇は大化の改新を起こした中大兄皇子(のちの天智天皇)の弟で、持統天皇は天智天皇の娘で天武天皇の皇后です。

大嘗祭の儀式の形が整ったのは天武天皇(第40代天皇)の何代か前に即位した皇極天皇(第35第天皇。彼女は重祚したので後の第37代斉明天皇と同一人物)の時代ですが、皇極天皇の時代は毎年の新嘗祭と区別がありませんでした。

「大嘗祭」として新嘗祭に比べて格別の規模で実施したのが天武天皇です。但し、当初は大嘗祭は即位のときの1回(一世一代)ではなく在位中何回も行われました。その後律令制(今でいう法律)が整う過程で一世一代の祭事となりました。

大嘗祭では日本の主食の元・稲が重要

大嘗祭で神様に供える新穀(神饌)のうち最も重要なものが稲です。日本の政の基盤は米(稲)、いまだに税金が『租税』と表現されるくらいですから(中学生が歴史で勉強する租調庸の租です)。

神饌にする稲を収穫する田んぼを『斎田』といい、斎田を選ぶことから大嘗祭は始まります。

斎田の選定は亀卜(きぼく)です。『斎田点定の儀』と言われ、亀の甲羅を火であぶって生じたヒビの形状を見て占うことで斎田とする地域(都道府県)を決定します。都道府県は決まったら直ぐに公表されますが、都道府県内のどの田んぼが斎田になるかは収穫直前に公表されます。今年は次の2つの田んぼが選ばれました。

悠紀地方(東日本) …  栃木県塩谷郡高根沢町大谷下原

主基地方(西日本) …  京都府南丹市八木町氷所新東畑

大嘗祭では 「悠紀殿の儀」「主基殿の儀」と同じ祭祀が二度繰り返され、そこで使われる稲は2つの田んぼ、東日本(悠紀)からと西日本(主基)から用意されます。 また、斎田の持ち主(大田主)は奉耕者として関連する祭祀に列席します。

実は子どもが生まれる前に高根沢町に住んでいた私。今年の高根沢産の米を食べているわけではないですが、以前食べたことのある大粒のコシヒカリを思い出して「ああ、あれか」と思えたりして少しいい気分です。

ちなみに亀卜で使用する甲羅はアオウミガメの甲羅で、特別に捕獲が認められている東京都小笠原村を通じて宮内庁が入手しました。

大嘗祭の開催・内容については賛否両論

  • 宗教色が強いものを国費で賄うことが適当か
  • できる範囲で身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿
  • 天皇家の私費(内廷費)で賄える規模にすべき

以上が今回の大嘗祭について2018年11月の記者会見で秋篠宮様が提言したことです。天皇は国の象徴であるため、政府の決定事項を皇族が公然と批判するのは極めて異例なことでした。

日本には政教分離原則があります。政治(国家)と宗教は別にするということ、国や地方団体が特定の思想をサポートするのはいけないという考えです。

先に行われた即位礼聖殿の儀などの即位関連の儀式は国事行事(内閣のアドバイスと承認が必要)ですが、今回の大嘗祭は宗教的な意味合いが強いに関わらず国の税金で開催される点が問題視されました。その結果、令和の大嘗祭は次のように改善されました。

  • 大嘗宮の規模を2割縮小
  • 建物の一部をプレハブにして簡素化
  • 建物の屋根をかやぶき→板ぶきに変更して簡素化
  • 大嘗祭直前までフェンス越しに工事の様子を見学できるようにして国民の理解を得る工夫をする

大嘗祭の後は大饗の儀(11月16日~18日)

大嘗祭の後、11月16日~11月18日の日程で「大饗の儀」が開催されます。参列者に天皇陛下がお酒や料理を振る舞う食事会です。

会場は宮殿で最も広い豊明殿。儀式で使う米を育てた栃木県と京都府の四季を描く「悠紀・主基地方風俗歌屏風」や、日本画家・今尾景年筆の墨絵「錦軟障」が会場に飾られます。

お客様には神前に供えられるお酒、「白酒(しろき)」と「黒酒(くろき)」がふるまわれます。白酒は白米から造られる濁り酒、黒酒は久佐木(くさぎ)という樹の炭で着色されています。

会場には能舞台もあり舞も披露されます。舞の中でも「久米舞」は日本で最も起源の古い歌舞とされていて、武官の装束を着た踊り手が太刀を抜いて舞う勇壮さが見物のようです。対して女性たちが装束姿で華麗に舞うのが「五節舞」で、これは平安時代から演じられていたが中世に一旦断絶してしまいました(大正時代に再興)。

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