除夜の鐘を108回より多く打って大丈夫?

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「渋谷のカウントダウンイベントに10万人が集まる」というニュースを見ながら、赤子がいる我が家は自宅でのんびり2018年を迎えました。

大晦日の夜は近くの寺社から除夜の鐘が聞こえました。除夜の鐘を「騒音だから」と自粛する地域もあるようですが、うちの地域では今年も除夜の鐘が響き、3歳の上の子はしっかり昼寝をして、赤子の下の子も起きていて、今年は4人で除夜の鐘を楽しみました。

「ごーんってきこえる」と子どもは楽しみ、大人も大晦日ならではの雰囲気を楽しみ、楽しみ……楽しんで…………深夜1時を過ぎたけど除夜の鐘はいつまで続くの?

深夜1時を過ぎても鳴り続ける鐘。別にうるさいわけでもなく、睡眠を妨げるわけでもないのですが、一体何回突くのかが気になりました。除夜の鐘は108回では?

除夜の鐘は「去年の煩悩」を祓う

除夜の鐘は「去年の煩悩には煩わされない」という意味から108回打つのが基本ですが(旧年の内に107回打ち、新年を迎えて1回打つ)、現代では打つ数や打ち方は寺院によって異なるようです。

「煩悩」とは仏教の教義のひとつで、「心の汚れ」という意味があります。

「煩悩」というと私は悪いものをイメージしますが、「煩悩の塊」とか。しかし、煩悩のような欲や怒りは、「生きていく上で必要なエネルギー」と考える宗派もあるそうです。

人間の諸悪の根源は貪欲さ、害意、愚痴

煩悩を「人間の諸悪の根源(人間のいろいろ悪いところの原因)」とすると、大元は「貪欲」「瞋恚」「愚痴」の3つと言われています。

  「貪欲」 必要以上に求めること

  「瞋恚」 怒りの感情

  「愚痴」 物事の心理や本質を知らない(無知)

この3つは「人間の悪いところ」でありながら、「人間を苦しめること」でもあります。例えば「貪欲に今よりお金を稼ぎたい」と思う気持ちの裏側には「お金がない生活は怖い」という思いがあります。

「煩悩は108個」には諸説ある

煩悩は「身の丈以上の欲を抱えて怒り、物事の本質を理解しないこと=人の苦しみの元」とされれています。通俗的には「煩悩の数は108」とされていますが、時代や宗派によって煩悩の数は変化してきたそうです。

「たくさんのもの」を108と言ってきた

「日本では昔から“たくさんのもの”を表現するのに108を使ってきたから」という説があります。

そのため「108個ぐらい多く」と解釈して除夜の鐘を200回とかとかそれ以上、寺院によっては打つことがあります。

四苦八苦、(4×9)+(8×9)=108

108を算出したパターン、その1「四苦八苦」です。

四苦=4×9、八苦=8×9、ふたつの掛け算の答えを合わせて108とする説です。

一年の月の数(12)+季節の数(24)+気候の数(72)

108を算出したパターン、その2「季節や気候の数」です。

1年の月の数(=12)と二十四節気(=24)と七十二候(=72)を全部合わせて108とする説です。

人の感覚だとかなんだとか

人の感覚は6個あり、

このそれぞれに「良い」「悪い」「どちらでもない」の3状態があり、 ←ここで6×3=18個

これが、さらに「キレイなもの」と「汚いものの」の2つに分かれ、←ここで18×2=36個

ここに過去・現在・未来の時間軸を併せて、36×3=108とするものがあります。

欲に対する執着を捨てることが大切

煩悩を英語で表現すると、

 worldly desires (この世で熱望していること)

 worldly passions (この世の情念)

英語圏では「煩悩=欲(desire、passion)」と捉えられがちですが、どちらかというと「欲そのもの」よりも「欲に対して執着すること」の方が煩悩のイメージに近い感じです。

だから除夜の鐘で「煩悩を捨てる」というのは、「欲そのものを捨てる」のではなく、「過ぎたる欲やそれに対する執着を捨てる」というイメージになります。

伝統文化と人権の両立は難しい問題

除夜の鐘は年越しの伝統文化ですが、人や環境によっては夜なこともあり鐘の音を騒音と判断され、近年では除夜の鐘を自粛する寺院も少なからずあります。

除夜の鐘の問題は、「伝統文化と人権の衝突」として代表的な例です。

伝統的なものに対して物を申す側はどうしても少数派になりがちで、「うるさいなら何処かに行けばいい」と多数派が威圧する傾向があります。しかし、これは人権侵害になります。

似たような事例が、昨年末を騒がせた横綱の暴行問題です。一般的にみれば横綱だろうと何だろうと相手に怪我をさせたら暴行の加害者であり法的に処罰されてしかるべきですが、「横綱だから」という伝統が被害者の権利を侵害しつつあります。

さらに加害者である横綱が「(略式起訴ではなく)示談にしたかった」と発言しました。普通は示談するかどうかの選択権は被害者にあるはずなのにです。

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