5月の第2日曜日は『母の日』です。
幼稚園にお迎えにいったら、子どもから「中は絶対に見ちゃダメ」と渡された幼稚園バッグ。日も日だし、「母の日用に折り紙でカーネーションでも作ったのかな」と思ったら手紙でした(封筒は子どものオリジナルの絵)。
おそらく、手紙。私にくれたあとに子どもが「本当は今日じゃないんだけど……」なんて言うものだから母の日当日まで封を開けることができません(*’ω’*)
今回は母の日について。
『母の日』の発祥
「母の日」の発祥には諸説あり、一番有力とされているのが「アメリカ発祥説」。ただ、アメリカで始まる前からイギリスやアイルランドではあったと言われています。
アメリカ発祥説
アメリカで「母の日」がはじまるキッカケとなった女性はアン・ジャービスさん(1832‐1905年)。1860年代のアメリカでおきた南北戦争時代の社会活動家です。
戦争が起きる前、彼女は健康衛生の重要さからボランティア団体「Mothers Day Work Club」を結成。このクラブは、病気と幼児死亡数を減らす目的で、家庭に助力と教育を提供しようと努めたそうです。
戦争が起き、ジャービスさんが住んでいるバージニア州西部(ウェストバージニア州)は南北戦争の最初の複数の衝突の場所となり、両軍ともに大量の負傷兵を生み出しました。ここでクラブは使命を変え、戦争によって引き起こされた需要、敵味方関係なく負傷兵のケアに尽力したそうです。
アン・ジャービスさんは1905年5月に亡くなり、それから2年後の5月の第2日曜日、娘のアンナ・ジャービスさんが亡き母の追悼集会を開催し、これが「5月の第2日曜、母親に感謝の気持ちを伝える」という風習となったと言われています。
イギリス・アイルランド発祥
イギリスやアイルランドでは、イースター(キリストの復活祭)の3週間前の日曜日を「マザリング サンデー(Mothering Sunday)」と呼びます。
イギリスやアイルランドはマザリング サンデーにお母さんに贈り物をするのが定番だそうです。
昔、貴族の屋敷へ奉公していた子どもたちはマザリング サンデーになると故郷に里帰りをし、自分が洗礼を受けた教会(=マザーチャーチ)を礼拝するのが習慣となっていました。この習慣が「母の日」の原型になったと言われています。
日本の「母の日」は戦前・戦後で日にちが違う
日本で「母の日」が始まったのは1931年、昭和天皇の皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日を「母の日」としたが、一般的に日本で「母の日」が普及したのは第二次世界大戦後にアメリカの文化が流入したのがキッカケです。
その後、アメリカの流れをくんで母の日は3月6日から5月の第2日曜日に移動し、二本の記念日として制定されました。
かつて日本が皇后の誕生日を「母の日」にしたように、タイは現在の王太后シリキット王妃の誕生日(8月12日)を母の日としています。
母の日にカーネーションを贈る風習の誕生
母の日にカーネーションを贈る風習が生まれたキッカケは、アメリカで母の日が生まれたキッカケとなったアン・ジャービスの追悼集会で娘が彼女の好きだった白いカーネーションを祭壇に飾ったことが始まりといわれています。
カーネーションの花言葉は「無垢で深い愛」。花に思いを込める風習は、17世紀頃にトルコからヨーロッパ中に伝わったと言われています。
赤いカーネーションには「母への愛」、白いカーネーションには「尊敬」という意味があります。最近ではピンクのカーネーションを贈ることもありますが、ピンクは「感謝」です。
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