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昔、花見といえば『梅』だったらしい

関東屈指の、埼玉県の梅の名所「越生梅林」に先週行ってきました。

埼玉県のあちこちで満開近い花ぶりなので、越生の梅林も盛りだろうと期待していったら品種によるものの3分~5分咲きといったところ。

地元の人によると越生梅林の梅は周辺より少し開花が遅いらしいです。

確かに、梅の木の株元にあった福寿草がちょうど見頃でした。

清少納言の「枕草子」にある梅といえば、「木の花は、濃きも薄きも紅梅」なので紅梅の写真撮影に注力しました。

今回は梅の花について。

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現代では「花見」といえば桜の時期で、桜は「春」の象徴でもあります。

しかし、奈良時代の花の観賞といえば「梅」で、貴族たちは造園するときに梅を入れるのが定番だったそうです。

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何がきっかけで梅から桜になったの?

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きっかけの1つが「遣唐使の廃止」と言われています。
864年に遣唐使が廃止され、日本では独自の文化が発展していったといわれています。

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梅LOVEは中国の文化の影響ということかぁ

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中国の文化では、梅は「梅花香自苦寒来」(梅の花の香りは辛い寒さを耐えたからこそ)という言葉があるように、現代でも「精神的な強さ」の象徴と言われています。

奈良時代の日本は遣唐使を介して中国との交易が盛ん、中国の文化が日本に伝わり、その中にも梅がありました。

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どこのくらい人気だったの?

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当時の人気が分かるのが万葉集です。
万葉集に詠まれた桜の歌は43首、梅を詠んだ歌は110首、梅は桜の倍あります。

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梅の花言葉は「高潔」「忠実」「忍耐」、白梅のみ「気品」とあります。

花言葉の「忠実」は、梅を家紋とする菅原道真にまつわる伝説「飛梅伝説」に由来。

飛梅伝説は、政争に敗れて大宰府へ左遷された菅原道真の後を追って、道真がこよなく愛した庭の梅の木が空を飛んだとする伝説です。

道真の梅の木への愛は歌からも伝わります。

東風こち吹かば にほひをこせよ 梅花うめのはな 主なしとて 春な忘るな

(梅の木よ、私がいなくなっても、春が来るたび忘れずに芳しい花を咲かせておくれ)

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