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コロナ禍で生まれた“大人の焦り”は子どものストレスの原因になる

― コロナで生じた遅れを取り戻さないといけない ―

これ、子どもにとってはストレスとなる大人の事情かも。

「習い事(バレエ)をやめたい」

普段の幼稚園とは違う“習い事の場”におずおずと加わり、3か月ほど経って慣れてきたと思った矢先のコロナ禍。2ヶ月ぶりに再開したものの浮かぬ顔だった6歳の娘の発言に「やっぱり」と。

再開して以来、バレエに行くのを嫌がるそぶりを見せていた娘。

コロナ禍で心身ともに怠けたからかと思ったが、嫌がりだしたのは2回目以降から。その理由はすぐに判明、先生の指導がややヒステリックになったから。

コロナ禍によるストレスは老若男女が少なからず抱えているが、先生の言動から感じるのは“焦り”。自分で決めた納期に間に合わず焦るかつての仕事仲間に似ていた。

娘の通うバレエ教室では1年かけて練習した演目を毎年6月に発表。発表会の成功で子どもたちは達成感を味わい次につなげる、このやり方に賛成する保護者は多いが、今回はコロナ禍で発表会が中止。

「せっかく練習したんだから小さくても披露の場を作って発表しよう」と先生は言い、それに多くの保護者が賛同。結論から言うとこれがすべての原因。なぜなら毎年この時期には次の発表会のための準備が始まる。今回大人たちは今までの努力を無駄にしまいと過密スケジュールを進んで組んだ。

結果。

中止になった発表会の演目を急ぎ仕上げて披露し、遅れてしまった来年の発表会の準備を急いで巻き返さないといけない状態。当然ながら指導がスピードアップしたが、習っている子どもたちは特に才能があるわけではない。地方の小さなバレエ教室ではレッスン10回分の内容を子どもが3回で覚えてしまうなんてミラクルは起きない。

しかし大人は自分たちがミラクルが起きて当然となぜか思っている。コロナウイルスにはそんな作用があるのだろうか。こうして先生は焦り、上手くできないと悩む子のママは自分の娘が遅れているなんてと焦っていた。

“大人の焦り”は子どもにとって相当ストレスになる。

ステップAを理解できないのに、ステップB、ステップCと押し付けられれば誰でもパニックを起こす。そんな大人は子どもにとって「この人何を強要しているの?」と恐怖の対象でしかない。

「これは教えたでしょう?」

「前回やったのにもう忘れたの?」

そんな言葉が教室内に響く。よくない。

確かに先生は“教えた”が、“子どもたちが理解したか”の確認がちゃんとできていない。理解という概念がない幼い子どもはもちろん、小学校高学年の子どもたちもそんな指導に戸惑っていた。

「バレエをやめたい」は6歳の娘の防衛本能なんだろうと感じた。

幼稚園でもコロナストレスを感じている子どもが少なからずいる。

そんな子のママに聞くと、その子は幼稚園が再開してしばらく経ってから「幼稚園に行きたくない」と言い始めたらしい。原因は『ソーシャルディスタンスの強要』。

娘の通う幼稚園はハイタッチやハグなどスキンシップ多め(私の感覚では)。そんな幼稚園に2年通っていた子どもである。「コロナだからソーシャルディスタンスが大事」という風なことを言い聞かせても、再開して久しぶりに先生や友達に会えばテンションmax、言いつけなんて吹っ飛んで飛びつこうとして

「まって!」

焦った表情でホールドアップする先生は“近づかないで!”と態度で示す。「コロナだからね」「感染させちゃったら悲しいな」などと慌てて言いつくろっても、子どもにとっては拒否されたということだけが根深く残る。

「あまり近づくとコロナがうつっちゃうからね」

「大声を出すと飛沫感染しちゃうからね」

先生たちの言うことには間違いはない。でも子どもたちに不満がたまっていくのも見てわかる。

パーソナルスペースがやや広く、唾を飛ばす勢いで大声を出すことはしない娘。『新たな生活様式』に当てはまるタイプだったようで、コロナウイルス対策はさほど苦にならないらしい。

でも“さほど”。コロナウイルス対策ストレスは0ではない。でもママにできることは対策の必要性を説きつつ、子どもの訴えを受け入れて改善すること。

例えば、「マスクが暑くて苦しい」といったら冷感素材のマスクを準備。暑さ対策をしておけば、子どもたちの中で「暑い!」とマスクを外そうとする娘に焦って大声で注意する必要がない。

焦りは本当によくない。

感情にまかせた言葉や行動や印象が強めで、耐性のない子どもの心に深く残ってしまうのだから。

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