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過去に元号がコロコロ変わってきた理由は?

12月に入り色々なところで来年のカレンダーや手帳が配られ始めました。

師走という名前の通り、12月になると何となく街が騒々しく、人の動きが慌ただしくなり、年の瀬を意識します。

今年のカレンダーや手帳選びは難しいという人も多くいます。理由の1つは2019年5月1日の新天皇即位でにより元号が変わるからです。元号について、次の参考資料をもとに過去の歴史等についてまとめました。

参考資料:三菱UFJニコス発行「partner(パートナー)」(2018年12月号)特集「知の泉」(話:東京大学史料編纂所教授・山本博文氏)

元号(年号)が日本で始まるキッカケ

年号は紀元前115年頃に古代中国の皇帝(武帝)が「建元」と定めたのが最初と言われ、以来中国では縁起のよい漢字を組み合わせて年を表し、それが中国の影響を受けていた日本にも広がりました。

現在でも元号を使用している国は日本だけです。

元号制度が取り入れられたのは聖徳太子の時代、古代中国に派遣された遣隋使たちが収集した中国文化のうち、中国の法律である律令制度を取り入れて”国家”を作ろうとしたときに「これも!」と採用されたからです。

元号は新しいスタートの合図

日本で初めて誕生した元号は”大化の改新”の「大化」で、一時途絶えたり、南北朝時代に2つ在ったりとして、これまで使用された元号は全部で247個もあります。

中国の元号はそれ以上の数ですが、清の時代が終わってからは元号をしようしなくなりました(中華民国の「民国」を元号という考えもある。その場合、2018年は民国107年)。

単純計算で1つの年号が使われた期間は平均6年間、コロコロ変わっていたのはその時代の為政者が民心を一新するために元号を変えてきたからです。「今度は私がトップだ!」「今までとは違う政治をするぞ」という気持ちの現れということです。

このような改元(元号を変えること)は『代初めの改元』と言われます。

これ以外にも、為政者そのままでも大地震、大火、飢饉、疫病など人の心が不安になる不吉なことが起きたときには『災異(さいい)の改元』と言われる改元をしてきました。

恨みをかう心当たりが沢山あるからか、信心の深さ故か、後花園天皇(在位:1428年~1464年)は8回も改元しています。

明治から1つの元号の期間が長い理由

明治からは『一世一元の制』が採用されたからです(新しい天皇が即位したときだけ改元する制度)。

5月という年の真ん中での改元で(新天皇即位は2019年5月1日)、カレンダーやコンピューターシステムの変更が面倒と言っていたから「年号だけ1月に変えればいいのに」と私は思っていましたが、法律でできなくなっているようです。

『一世一元の制』が採用されるまでは、コロコロと年号が変わっていました。一番短いのは鎌倉時代の「暦仁(りゃくにん)」で約2ヶ月です。現代の生活様式には全く合いません(関係業界のてんやわんやが容易に予想)。

明治より前に20年以上続いた年号は「応永」「延暦」「正平」「天文」「寛永」の5つのみです。243個もあったのに、たった5つです。

元号に使われてきた漢字は全部で72個

過去に元号は247個もあったのに、元号に使われてきた縁起のよいとされる漢字は全部で72文字しかありません。

日本で使われてきた元号は全て、中国の古典(漢籍)を出典としています。漢籍に限定されているのは、元号が生まれたのが漢(前漢)の時代だからです。

代表的な漢籍の古典は『尚書(書経)』『周易(易経)』『文選』『後漢書』『漢書』です。いまの”平成”も出典は書経(と史記)です。

新元号の候補を考案してきた勘申者

勘申者は、明治以前にその時代に合った元号の候補を考案してきた人たちです。記録がはっきり残っている勘申者は延べ229人います(平安時代中期以降)。

勘申者には朝廷から諮問を依頼された学者が多く、彼らは由来や先例を調べ上げて新しい元号の候補を報告してきました。

勘申者として記録に残っている人物の姓で多いのが藤原姓、大江姓、菅原姓です。このうち大江姓は鎌倉時代には記録から消え、藤原姓は室町時代を最後に記録から消えました。菅原姓の勘申者は鎌倉時代以降に増え、平安時代にはたったお10人だったのに明治を勘申した菅原在光(大納言)までに全部で121人、勘申者の半数以上が菅原姓だったのです。

菅原道真の子孫たち、スゴイ!

菅原道真は「天満天神」として信仰の対象となっています(道真の御霊が神格化)。学問の神で雷神、全国にある天満宮の主神です。埼玉県の主な天満宮は3社で、北野天満宮(所沢市)、氷川天満神社(桶川市)、佐間天神社(行田市)です。

元号の利用については以前から賛否両論

不便、憲法違反などという理由から『元号不要論』はチラホラささやかれることがありますが、日本人は今まで使い続け、「新天皇即位で新しい元号が何になるか」と話題になるほど、これからも使い続けます。

元号は日本の文化や歴史観に深く根付いています。私たちの価値観にもであり、嘉永〇年創業とか聴くと「歴史があるな~」と老舗の風格を感じずにはいられません。

参考資料:三菱UFJニコス発行「partner(パートナー)」(2018年12月号)特集「知の泉」(話:東京大学史料編纂所教授・山本博文氏)

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