サイトアイコン 「  」

俳句や短歌とはちょっと違う「都々逸(どどいつ)」とは?

Nack5(FM79.5)を聴いていたら都々逸をやっていました。

<川柳はありきたりだから都々逸にした>とパーソナリティが言っていましたが、「”どどいつ”って何だっけ?」と思ったので調べてみました。

都々逸(どどいつ)は七・七・七・五の定型詩

都々逸とは定型詩の1つで、七・七・七・五の音数律に従っています。定型詩とは短歌、俳句、川柳のように規則的な形式のある詩です(欧米では”ソネット”が定型詩として有名)。江戸時代末期に初代の都々逸坊扇歌によって大成されました。

「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」といった女性の容姿を褒める詩は有名な都々逸です。

起源は寄席や座敷などの演芸(だしもの)

都々逸は三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物でした。「惚れて通えば千里も一里 逢えずに帰ればまた千里」というように、男女の恋愛を題材とするものが多いため『情歌』とも言われます。

2018年7月2日に亡くなった桂歌丸さんも「一度でいいから見てみたい 女房がへそくり隠すとこ」といった都々逸を残しています。「惚れて通えば~」ほどあからさまではないものの、奥さんへの愛情が垣間見える唄だと感じるものです。

都々逸坊扇歌(どどいつぼうせんか)とは?

「都々逸坊扇歌」は”都々逸”と”落語”の名跡です。

名跡とは家の中で代々継承される名前で、後世に名を残すほどの偉業を成し遂げたり、一世を風靡するほどの芸達者の名前をその家の中で引き継いでいく感じです。この名跡は男性でも女性でも継ぐことができます。

初代・都々逸坊扇歌は江戸時代の末期に一世を風靡した寄席芸人です。1952年に扇歌を自称した(正式な襲名でなかったため特例措置)7代目都々逸扇歌以降、都々逸坊扇歌は現在は空き名跡となっています(2018年現在)。

近年では寄席で都々逸が謡われないことも増えましたが、昭和の中頃までは寄席で都々逸は欠かせないものでした。

比較的簡単だから幅広く人気が出た

”どどいつ”が人気を博したのは都々逸坊扇歌が特に優れた演じ手だったことではなく、この節回し、いわばリズムが比較的簡単だったことが大きいといわれています。この時代の江戸の人が唄好きというのも一因です。

短歌よりも川柳の方が比較的簡単だから、近年では「サラリーマン川柳」など川柳に人気が集まるのと似た感じです。

覚えやすいリズムなので、「恋に焦がれてなく蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」というように<聞いたことがある>風の詩が多いです。

この都々逸には元歌(オリジナル:「声にあらわれなく虫よりも 言わで蛍の身を焦がす」)があり、こんな風に都々逸は古い詩や民謡の文句を取り込みながら拡がってきました。

日本人の耳に馴染んできた都々逸のリズムは耳障りが良く、サザンオールスターズの歌にも登場します。

ー 恋の花咲く ロマンの都 女ばかりに 気もそぞろ 夢もほころぶ 小意気なジルバ 君と銀座の キャフェテラス (「東京シャッフル」より)―

[amazon_link asins=’B07FMVX53V’ template=’new’ store=’tuduri-22′ marketplace=’JP’ link_id=’2f814a28-d1b8-11e8-a906-dfa9fba1bbc8′]

スポンサードリンク



モバイルバージョンを終了