2020年3月18日に熊谷で桜の開花が発表されました。
3月18日には4月(中旬から上旬)並みの暖かい日。この暖かさで午前中に横浜で、午後に熊谷で桜が開花。さらに春の便りは続々と。和歌山や宇都宮ではうぐいす、青森ではひばりの初鳴きが観測されました。
開花といっても満開ではないため即日花見は物足りなさがありますが、これから暖かい日が続くのでこの3連休くらいから都内の桜が満開になると予想されています。
桜の代表種「ソメイヨシノ」は江戸時代に誕生した
鑑賞用桜の代表種「ソメイヨシノ」の発祥の地は江戸の染井村(いまの東京都駒込)、この集落に住む造園師や植木職人によって育成されました。
「ソメイヨシノ」はエドジガン系の桜とオオシマザクラの雑種との交配により江戸時代後期に誕生。当初は桜の名所として古来名高い「大和の吉野山」(いまの奈良県山岳部)にちなんで「吉野」や「吉野桜」として売られていましたが吉野で咲いている桜と区別するために「染井吉野」と命名されました。
スペースをとらない桜の木は写真映えの期待大♡ |
平安絵巻に描かれている桜はソメイヨシノではない
ソメイヨシノは江戸時代後期に生まれたものなので、平安絵巻に描かれた桜はソメイヨシノではありません。この時代に描かれた桜は山から採ってきた山桜などの自生種を貴族の屋敷や寺社に移植したものです。
平安時代は桜の山桜の山→都の移植がブーム。
それは平安時代はそれまでの「中国から流れてきた文化」ではなく「日本固有の文化」を根付かせようと時代だからです。そのため”花”も、平安時代より前の奈良時代などは中国の流れを組んで”花と言えば梅”でしたが、平安時代以降は”花と言えば桜”に変わりました。
平安時代に書かれた最古の庭園書「作庭記」にも「庭には花(桜)の木を植えるべし」と書かれており、平安時代には桜は庭作りの必需品となりました。
平安時代には花見も「梅の花見」から「桜の花見」に人気が移行しました。京都の梅の時期(満開)は例年3月半ばであるのに対して桜の時期(満開)は4月上旬、平安時代の人々も寒さ残る梅よりも桜の方が花見に向いていると思ったのではないでしょうか。
ちなみに記録に残っている最古の花見は嵯峨天皇が神泉苑でひらいた花見です。
フルーティーな吟醸香と爽快な味わい、セレクトミスはまずない! |
平安時代に「花といえば桜」という考えが根付いてきたのが和歌からも分かります。平安時代以前の歌が集められた万葉集では梅を題材にした歌が110首に対し桜が題材の歌が43種だったのに、新古今和歌集では梅が18首に対して桜が70首と「桜>梅」になっています。
元御料地や元大名庭園が多い東京都には桜の名所が多い
ソメイヨシノの生まれた江戸には桜の名所が多く、時を経て東京になった今も桜の名所は新旧合わせて色々あります。特に元御料地や元大名庭園には大量に植えてあったり、趣きのある古木があります。
新型コロナウイルスの影響で花見の自粛中に報道局が集まったのは上野恩賜公園。都内屈指の桜の名所で元御料地。恩賜公園(庭園)とは第二次世界大戦前は宮内庁管轄の御料地だった土地が、公に自治体に下賜され整備された公園(庭園)です。上野恩賜公園の他に、井之頭恩賜公園や浜離宮恩賜庭園(有料)が桜の名所として有名です。
先日テレ朝で紹介された六義園の枝垂桜は薄紅色の花を咲かせる名木として有名です(六義園は4月~5月に咲くツツジの方が有名)。
皇族・大名(華族)が過ごした邸を改良して作られたこれら公園(庭園)はきれいな桜があるだけでなく、庭自体が芸術的。四季を楽しめるように様々な植物が植わっているだけでなく、江戸時代や明治・大正時代の文化が残っているため写真スポットだらけです。
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